暮らしを深く考えられる本

自分を開示した先に出会えるもの【メタモルフォーゼの縁側】

30歳も過ぎると、なかなか新しい友達もできず、決まった人間関係の中で生きるようになってきているように感じます。
それはそれで心地良いのだけど、もし新しいつながりができたら…そう思うときもたまにあります。

「メタモルフォーゼの縁側」は、BL小説を通して高校生女子と70代の老婦人が、ゆっくりと友情を育てていく物語です。

年の差の友情

メタモルフォーゼとはドイツ語で「変身」「転身」という意味を持つ単語です。内気なBL好きの高校生うららと、何年振りかに漫画を買ってBLに目覚めた市野井さんとの友情が、市野井さんの家の縁側や縁側ではないところで育まれていきます。

みなさんは年の差があるお友達っていますか?私は残念ながらあまりいないのですが、年配の方や若い人とお話するのは結構好きだったりします。
若い人は私の知らないような新しいことを教えてくれて面白いです。(流行りの漫画やゲームとか…熱心にやり方を教えてくれたり…親切です)
生活のちょっとした知恵などが好きな私は、それを年配の方に教えてもらうのも好きです。(この間は梅の見分け方を教えてもらいました…)

同じ世代の友達と話す内容の目的が「共感」寄りであるならば、異世代の人と話すのは「新しい世界との出会い」とも言うべき、情報交換の場であるように思っています。

でも友達になれるかと言われると、なかなかそこまで発展できないですよね。やっぱり住んでいる環境も違えば、大げさに言えば文化も違う。世間話程度なら問題なくても、どこかに一緒に出掛けるとか、一緒に何かをするってなると、やっぱり不安がよぎるもの。連絡先ひとつ交換するのも、ちょっと緊張します。

でもそこを踏み越えられるのが、共通の趣味なのかな、とこの作品を読んで実感しました。

思えば私は今まで、会社の同僚や今でも付き合いのある友人と「一つ深い付き合いになれるきっかけ」は、いつも漫画の話題だった気がします。好きなものを共有できると、どうして人は心を許しあえるのでしょうか。

趣味って、なかなか人にいうのが恥ずかしいっていう人はいませんか?どこかで、自分の好きなものが否定されたらどうしようと怖く思う気持ちもありますし、それが理由で離れられたらなんだか自分を全て否定されている気がしてとても傷つく気がします。

でもだからこそ、そこを共有し合えるとその人は自分にとって心を許せる友達となるのでしょうね。

友情はいつでも上手くいくわけではない

うららさんと市野井さんの友情は、いつも上手くいっている訳ではありません。

憧れの漫画家が来ているイベントで、市野井さんが腰を抜かして思うように動けなかったり…市野井さんの体調を心配して、うららさんが嘘をついて冬フェスの参加は断念したり。うららさんの受験の間はしばらく連絡も取らないこともありました。

それでも漫画を架け橋にゆるくつながっている二人には、なんだか羨ましさを感じます。

人間関係を繋げ続けるのってすごく根気のいることだと思っています。少し気まずくなることもありますし、距離を置きたくなる時もあります。今まで「いつも仲良し♬」って感じで関わってきている仲だとなおさら、少し会わなかったり連絡を取らない期間が続いたりするだけで、「変わってしまったのかな…」と気まずくなって更に距離を置いてしまったり。

でもそういうときに、共通の趣味はやはり大きな役割を担ってくれるはず。本人同士が変わっていっても(結婚したり、子供を産んだり、転職したり…)、共通言語として使うことができる。そして、放っておけば失われてしまったかもしれない関係を繋いでくれる…。

私も好きな本や漫画を語り合える人が増えたら…と思うことがあります。学校の友達とは違って、自分で見つけに行って出会える友達がいたら…素敵ですよね♪

大げさじゃない展開も、現実的でよかった

メタモルフォーゼの縁側は、登場人物がさして大きなトラブルや事件に見舞われることはありません。それぞれ暮らしの中に大なり小なり悩みを抱えながら生きているけど、それが大きくフォーカスされるわけでもなく、爽快に解決されるわけでもありません。

でもそれが人生ですよね。つい私たちはそういう刺激を求めてしまうし、物語や創作物でそういう欲求を発散できるのもまた二次元の良さであるとは思うのですが、こういう物語に触れられると「これで良いんだよな」と安心できるような気がします。

印象に残っているのは、うららさんとお母さんのエピソード。
内気なうららさんが、最近よく外にでかけて活発になってきたことを指摘されたときに、こうお母さんに返しています。

…なんか、いろんなこと、別にいつでもやっていいのかもって。今まで考えたことなかったんだけど。何歳かになったら「やってもいいよ」ってなるときが来るのかと思ってたけど。別にいつでも、今やってもいいんだなーと…。

メタモルフォーゼの縁側 3巻 p.26

お母さんにも、パートや人間関係、さまざまな悩みがありそうな描写は随所に描かれていますが、その内容に大きくフォーカスが当たることはありません。でもその娘の言葉に少し心照らされている様子が描かれていました。

自分の悩みを、誰かが駆けつけて鮮やかに解決してくれる…そんなことはないけれど、そばにいる人のちょっとした前向きな変化に、自分も力をもらいながら、今日とたいして変わらない明日に向けて頑張っていく…。登場人物たちがそんな現実的に希望が持てる、描かれ方をされているのもとても好感を持てる作品でした。

自分のことを、勇気を出して開示する。その先にあるもの…

自分の中にある大切なもの、否定されたくない繊細な場所。それを共有できた先には、細くて長い、丈夫な縁の糸があって、それを趣味という針で大事に大事に紡いでいける…。

そんな希望を持てる素敵な作品でした。私も、趣味を架け橋として人とつながれたら…そんな希望を思わず持ってしまいます。

これからは、「趣味」という高いハードルを少しずつ切り崩し、人とつながる道と出来たら良いなと思います。

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